先日、NHKの放送で知った音楽に今もって脳裏に焼きついている曲。
時代は変われど今に生きるイメージは今も昔も変わらぬ魂の琴線に触れる。
現代音楽の難解さから時代の先端部分を担っている前衛現代音楽。
発展へと歩み続ける音楽もやはりメロディー重視の曲の前には壮大なイメージを掻き立てる力の前には時代を乗り越えた説得力を感じる。
佐村河内 守の《交響曲代一番》はマーラーの 交響曲第5番の第4楽章アダージェットを彷彿とさせ 歴史上の名曲に並んだ。
政治,経済,社会と落ち込んでしまった感の日本にはまだまだ崇高な芸術文化が息づいている。
個人の資質だけでも歩み続ける芸術文化のDNAは全世界に人類の文化の震源地として日本人は発信していくだろう。
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日本コロムビアの説明文から引用
《被爆者を両親として広島に生まれる。4歳から母親よりピアノの英才教育を受け、10歳でベートーヴェンやバッハを弾きこなし「もう教えることはない」と母親から告げられ、以降、作曲家を志望。中高生時代は音楽求道に邁進し、楽式論、和声法、対位法、楽器法、管弦楽法などを独学。17歳のとき、原因不明の偏頭痛や聴覚障害を発症。高校卒業後は、現代音楽の作曲法を嫌って音楽大学には進まず、独学で作曲を学ぶ。 1988年、ロック歌手として誘いを受けたが、弟の不慮の事故死を理由に辞退。聴力の低下を隠しながらの困難な生活が続く中、映画『秋桜』、ゲーム『バイオハザード』等の音楽を手掛ける。1999年、ゲームソフト『鬼武者』の音楽「交響組曲ライジング・サン」で脚光を浴びるが、この作品に着手する直前に完全に聴力を失い全聾となっていた。抑鬱神経症、不安神経症、常にボイラー室に閉じ込められているかのような轟音が頭に鳴り止まない頭鳴症、耳鳴り発作、重度の腱鞘炎などに苦しみつつ、絶対音感を頼りに作曲を続ける。 2000年、それまでに書き上げた12番までの交響曲を全て破棄し、全聾以降あえて一から新たに交響曲の作曲を開始。同年から障害児のための施設にてボランティアでピアノを教える。この施設の女児の一人は、交響曲第1番の作曲にあたり佐村河内に霊感を与え、この作品の被献呈者となった。2003年秋、『交響曲1番《HIROSHIMA》』を完成。》
COCQ-84901
¥2,940(税込)
コロムビア創立100周年記念作品
交響曲第1番《HIROSHIMA》
佐村河内守 作曲:交響曲第1番《HIROSHIMA》
大友直人指揮 東京交響楽団
録音2011年4月11-12日 パルテノン多摩
全ての聴力を失う絶望を経た作曲家、佐村河内守が完成させた《交響曲第1番》。
中世以来の西洋音楽の歴史を包含し、ブルックナー、マーラー、ショスタコーヴィチ等、ロマン派シンフォニストの系譜を受け継ぐこの交響曲は、佐村河内の出自(被爆二世)が反映された自伝的作品でありながら、「闇が深ければ深いほど、祈りの灯火は強く輝く」という作曲者の言葉に象徴されるように、東日本大震災の惨禍を経験した私たち日本人の心にも深く通じる、魂を救う真実の音楽といえましょう。危険を感じる大きな余震が続く中での録音セッション。大オーケストラが、大友のタクトのもと、まさに一塊の火の玉となり燃え上がるさまは圧巻の一言です。
最終楽章、苦しみと闇の彼方に、希望の曙光が降り注ぐ 交響曲第1番 第3楽章より「天昇コラール」 --。「現代に生まれた奇跡のシンフォニー」