節操と高い志など持ち合わせていない輩のお祭り騒ぎに国民の税金を何故注ぎ込まなければならないのか。
票目当てに右顧左眄の政治家と信念の欠片も見えない。
今や大阪詣でをする代議士諸先生方もいると言う橋下大阪市長の大阪維新の会に擦り寄る等の動きは最たるもの。
原発反対から賛成と転換したり 経済再生とばかりに増税反対も萎みがちへと政策もくるくると変わるような橋本徹大阪市長への
支持拡大。
それでも支持する方がいるとは驚き。
日本を此処まで駄目にしてしまった日本の保守政党の流れを汲む自民党に始まり、公明党、最近の民主党の選挙公約の丸忘れしたような顔で政権に居座る権力亡者の政治家を選んだ国民の浮ついた選挙権の行使によって現代の日本政治の体たらくを招いたんだよな。
そのような政治家は御免とばかりに維新の会の人気はうなぎのぼりであるが、よくよく考えてみると民主党の政権奪取の時と似ているではあるまいか。
あの方は弁護士の肩書きを持っているにも拘らず民意の統一と公共の電波を利用をして話している。
弁護士としての職業を持っている方では此の言葉はどのような意味を持っているかは重々に理解されての発言だと思う。
統一と統合では意味が大きく違ってくる。
《統一》は総てを一つにするという意図的にコントロールする全体性を有し 政治上ではナチズム、強権主義に繋がる。
他方《統合》は総てを受け入れて纏めると言う民主主義の根幹を成している。
国家社会主義労働者党 として政権奪取をしたナチスも国民から受け入れられる政策綱領を策定してきたが、政権の政策遂行時の統合性から統一性へと走り出したところに後世の歴史でも明らかになる危険な考え方になっている。
民主主義における民意の統合は時間が掛かるが、意見を出し合って擦り寄っていく高度差を要求される。しかし其の反面リスク的なものを避けると言う意味では一番正常に働くものではある。
福島原発の事故では統合性より統一的な考えで原発推進の中で推し進められてきた例であろう。
選挙への動きが加速しだした昨今、政治家の過去の言動、行動を上辺の今の動きから考え直してみると今回の民主党のような詐欺的政策に振り回されないで済む。
そういえば橋本大阪市長は文楽の歴史性、文化性も解からずに(大阪市の橋下徹市長の文楽批判が止まらない。27日には「人形劇なのに(人形遣いの)顔が見えるのは腑に落ちない」、前日には人気作「曾根崎心中」を批判するなど、わずか観劇2回で、文楽の様式や作品内容にまで発言がエスカレート。文楽には、人形遣い個人の魅力を楽しむため江戸時代から顔をみせるようになった歴史がある。観客動員の努力不足などを指摘する橋下市長の発言に一定の理解を示す文楽関係者らも「勉強不足では」と不信感を募らせている。(亀岡典子))
文楽補助金打ち切りへと市民の要望として切り出している。
営利主義への警告は反核のうねりから文化、未来の子供、地球環境の保護から食の自給文化へと
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